Boyz Ⅱ menを深堀りしてみた。デビュー前のスーパースターグループから脱退した人物の人生が驚き

歴史を史実だけではなく、人物の人間性やドラマに光を当てるコテンラジオのような番組を目指してます。

音楽そのものだけではなく、面白いのは、大成功(セールスという意味で)したアーティストが大成功した数年後や、セールスが落ちてしまった後、どんな人生を歩んでいるのか。

例えば、大成功する前に共同で活動していたメンバーがその後どうなったか。

こんな視点でアーティストを追いかけてみると、人間ドラマが浮かび上がってくるんです。

今回、特集したのは、Boyz Ⅱmen。
90年代に伝説的な記録を作ったグループ。

Wikipediaより抜粋

世界中で6,400万枚のアルバムセールスを記録。
4つのグラミー賞
9つのアメリカンミュージックアワード
9つのソウルトレインアワード
3つのビルボードアワード

などなど。さらに、2017年には出身高校の前の通りに「Boyz Ⅱ Men大通り」という名前がついた。

Boyz II Men poses with signs for Boyz II Men Boulevard, located on Broad Street between Carpenter and Christina Streets. | Provided
グループ名が大通りの名称になった瞬間の記念ショット 羨ましいを通り過ぎてもはや認識不能 https://metrophiladelphia.com/take-a-stroll-down-boyz-ii-men-boulevard/

参考資料

https://metrophiladelphia.com/take-a-stroll-down-boyz-ii-men-boulevard/

そんなグループです。

BoyZ Ⅱ Menを生んだフィラデルフィア

1776年合衆国建国の父が、独立宣言をした土地です。

つまりアメリカの歴史が始まった土地でもある。

そんな歴史のある街ではあるが、現在のフィラデルフィアの町の様子。

ケンジントンでの荒廃した様子の動画が凄まじい。

待中にドラッグ中毒患者が溢れていて、麻薬で千鳥足で、ふらふら歩く人とか、通りの真ん中にぼーっと突っ立っている人とか、日中の表通りでそういう人たちが日常の中にたくさんいる。

 Boyz II Men が卒業した高校と、ケンジントンは5.5マイル足らずの距離、約10キロ。近いんですよ。

そんな街の高校ですから、おそらく、いろんなバックグラウンドを持つ生徒たちが通っている学校で、才能の高い人物もたくさんいただと推測。

グループ設立の経緯

1985年

フィラデルフィアの高校在学中に5人でグループを結成。

さて Wikipedia には フィラデルフィア高校と書いてあるんだけど、これは間違い。

正式には Philadelphia High School for the Creative and Performing Arts。

この高校、boyz Ⅱ menの他にも The rootsを生んだ学校です。

The roots のクエストラブ、ブラックソートが卒業したクリエイティブ系専門の学校。

この5人のうち、3人が高校卒業のため脱退。

1988年

何度かメンバーチェンジを経て、「BoyzⅡ Men」に。

これはニュー・エディションの曲名からとっている。

1989年

ベル・ビヴ・デヴォーのコンサートへ行き、楽屋に潜り込みアカペラを披露する。それがきっかけでモータウンと契約。

この辺がすごいなと思うんだけど、ボビーブラウンや、ニューエディションが好きすぎて、楽屋に押しかけてその場でアカペラ披露するんくらいだから、行動力半端ないです。

1991年

モータウンからデビュー ニュー・エディションのメンバーであるマイケル・ビヴィンズがプロデュース。

アルバムは900万枚のセールスを記録

結成から6年後です。

このとき、高校を卒業と同時にグループを脱退した3人は激しく後悔したに違いないです。

間違いなく激しい焦燥感のとらわれる。人間だからね。

そんな3人の思いとは裏腹に、グループは更に成功していく。

1992年

LAリード&ベイビーフェイスが曲を書いたEnd of the Roadという曲。

1992年8月15日にビルボードチャート1位に達し。11月7日まで13週連続1位にとどまり、ビルボードヒットチャートの歴史を塗り替えた。

この年はボビーブラウンのハンピンアラウンド、ホイットニーヒューストンのボディガードのサントラ、TLCやメアリーJブライジのデビューの年。

92年っていうのはアメリカブラックミュージック界にとってものすごく大きな年だった。

この年、私は中学2年生で、 FM ラジオをつけたらさっきあげたボビーブラウンホイットニーヒューストン、それから Boyz II Men なんかはもうしょっちゅうかかってた。毎日聞いてたかもしれない。

好む好まざるにかかわらず、ブラックミュージックの原体験ともいえます。

6時台のラジオ番組で、 ビルボードヒットチャートを流す番組をやっていて、私はその年にめちゃくちゃラジオを聴いていたんですよ。

毎日 End of the Roadが流れていて、めちゃ記憶に残っている。

実はその年にBoyz II Menは最初のプロデューサーであるマイケルビブンスではなく、主にベビーフェイスとの仕事をするようになっていく。

このグループは、とても90年代らしい楽曲制作スタイルで、プロデューサーありきで商業アルバムを作っていく。

作品ごとにプロデューサーをどんどん変えていくというスタイル。

1994年

アルバム2作目、Ⅱ を製作。このアルバムは前作を凌ぐ結果となり、

アメリカ国内だけで1,200万枚を出荷

相変わらず、品の良いスロージャムスタイル。

90年代にはまだ見られた曲の合間にポエトリーリーディングのようにセリフをつぶやく、これがたまらない。 

Boyz II Men – On Bended Knee

膝まづいて、哀願、懇願する と言う意味の曲。

baby , I’m sorry

please forgive me for all The wrong I’m done

please come back home girl

 

ベビーごめん、俺間違った事いっぱいした。

どうか許してほしい、家に帰ってきてくれ。

というセリフをメンバーがかっこいい声で言う。

正直、日本語にするとちょっと気持ち悪いです。

シンガーがポエトリーリーディングをするのって、抵抗ないのかなって思っちゃう。

この曲はジャム&ルイスがプロデュース 。

実際このアルバムはめちゃくちゃ売れました。

ここからのキャリアはセールスとしてはだんだんと下降線を辿って行く。

もうこれは当たり前で、山があれば必ず谷があります。

これまで特集してきたアーティストでどんどんピークタイムを更新していくアーティストはディアンジェロだけかもしれない。これは私見ですよ。

多くのアーティスト、ほとんどのアーティストは必ずどこかでそれもキャリアの初期に

大きな山がきて、後は放物線を描くようにセールスは下降していく傾向にあるのではないかと捉えているのですが、今のところ私たちが特集しているアーティストは本当に誰もが知っているようなアーティストばかり光を当てているので実は晩年になってから売れるっていうケースもあるはずです。

Boyz Ⅱmenを脱退したメンバーのその後

高校の同級生5人グループでスタートしたこのグループ、3人が高校卒業後と同時にBoyz Ⅱmenを脱退している。

ここがポイントで、その後どんどんスターになっていくグループをみて、元メンバーはどんな気持ちだったのか。

フォーカスしてみると、その後の人生を追いかける事ができた人物がいます。

いました。面白い人物が。

ジョージ・バルディという人物。

この人の人生がめちゃ面白い。

なんとBoyz Ⅱmen脱退のあと、大学卒業後、ディズニーランドに就職、その後なんと日本にきて就職していた!

しかも大阪のユニバーサルスタジオジャパンの開演日、2001年3/31付で転職。

1年間だけ働き、2002年にロッカペラというグループからオファーを受け、アメリカに帰国。

2014年までフルタイム勤務。そこからフロリダに移り住み、家族とともに幸せに暮らしている様子。

下記の動画はグループの動画。

収録曲

プリンセス・プリンセスのダイアモンド

シャネルズのランナウェイ

オリビアを聴きながら、など日本のポップスをアカペラでカバー。

なんとも味わい深いです。

音楽を追いかけると、いろいろな人の人生が見えてくる。そのような楽しみを教えてくれるBoyz Ⅱ Menの特集でした。